input→□→output

こんにちわ、久しぶりにblogを書きます。shinoです。

今日はコロナとか、経済情勢が気になる中、私の思考方法について少し書いていきたいと思います。

1.なぜ書こうと思ったか

以前から、思考の感覚というのは人それぞれで、1人1人の違いがあることが気になっていました。

例えば何かを見る時「アウトサイド」といって、外から物事を見る人、「インサイド」といって、中からものを見る人がいたり。その感じる感度の違いについても不思議だなと感じたことです。

 

これから深くまで突っ込んで書いていくので、読む方は覚悟してください。また、思考の方法も少しお伝えしていくので、色々な物事の見方が変わるかもしれません。

2.アウトサイドの人の思考

人は自分の専用眼鏡を常にかけています(7つの習慣の本より)その眼鏡で物事を判断してしまうということです。例えば、この人は怪しい!という写真付きでツイッターが炎上したとすると、その人は怪しい人になる。

 

でも、実際はその人の職業は「警察官の幹部」だったらどうでしょうか?

 

怪しくなくなるわけですね。それが眼鏡です。

 

でも、誰かが「怪しい」といったことも、「警察官の幹部」であることもどうでもいいのです。そういう、「情報」によって右にも左にも自分専用の眼鏡が見せてくれるわけです。影響力のある人が言うことや、その人の社会的な地位で、判断する眼鏡をかけています。

 

ここで、1つ、そのことについて、きちんと知ろう。という思考を持つことが大切だと思います。

 

・その文章だけで判断できることで判断していないか。

→文章を読んで、真実を見れていない。でも多くのフォロワーさんがいる人の投稿を丸のみにする。大切なのは、その人が経験年数や経歴などを含めて本当に信頼できる人かどうか。

 

・その写真や動画だけで判断できることで判断していないか。

→写真や動画だけ見て判断していないか。誰だって無表情で写真を撮れば怖いですし、笑ったらいい人に見えますよね。外で撮った写真は明るく写る、室内で撮ったら暗く写る。

 

こんな感じです。真実はもっと別のところにあるかもしれません。先ほどの「警察官の幹部」の人も、もしかしたら裏でいっぱい不正を働いている人かもしれないですし、そんなの判断できるのは身近な人だけです。

 

結局何が言いたいかというと、自分の眼鏡で情報を判断するのは、結局自分の思考の中での判断に過ぎないということ。

確かに、youtubeなどで、リアルが知れるのは大切かもしれないですが、その内容が本当かどうかは保証されていません。

3.インサイドアウトの人の思考

これは、自分の中から考える思考、今まで書いてきたように、アウトサイドインでは自分の眼鏡を通して、見ているやり方。

「インサイドアウト」今度は人よりも自分はどうなのか?という、自分の内側から考える方です。眼鏡をとってみましょう、ということですね。

 

例えば「怪しい人」のツイッターを見て、こう思います。

 

・怪しいと判断したのはなぜだろう?

・私は怪しいと思われないために何をするべきか?

・この人は怪しくないかもしれない。

・偏った見方になっていないか

 

こんな感じです。「アウトサイドイン」の人よりかは、自分発信で、落ち着いて考え事ができるような感じですね。でもこのタイプになりすぎると、気にしなくてもいいことが妙に気になって来たリします。

 

「怪しくないって言ってみたけど、本当に怪しかったらどうしよう」

「自分は間違っているのだろうか」

 

こんな感じですね。今日は7つの習慣から「インサイドアウト」が大切だという内容を少し自分なりに書いてみたのですが、インサイドアウトの欠点は「自分を反省しすぎること」だと思うのです。これによって、自信がなくなったりもしてきます(笑)

4.結局私たちは色々な情報に翻弄される

誰かのyoutubeが拡散されて、コロナウイルス怖い!という思考になったりもします。私も小学校の再開で不安なことを書いたら、youtubeが送られてきて、こんなに怖いのに小学校生に行かせるんですか?というDMをいただきました。

 

批判するわけではないのですが、1月の時点で私はこのウイルスがかなり怖いということを、わかっていました。それを有料noteにも書いています。

 

よく「菌」と「ウイルス」を混同してみる方は多いですが、「菌」と「ウィルス」は別物だと考えます。菌が抗生物質で死ぬのに対し、ウィルスは薬で殺すことができないのです。増殖は予防できます。それがインフルエンザ薬。でもウィルスに勝つためには、自分たちが「抗体」をつけることしかないのです。抗体がつけれない人はとにかく人との接触を断つこと。

 

ウィルスは「ばい菌」ではありません。だから、なんでも抗生物質を出すお医者さんが居たら、私は子供に溶連菌の風邪以外はその薬を飲ませていません。

 

アメリカで医療崩壊が起こって、初めて怖いと言い始めた方は、少し感覚を見直した方がいいのではないかと、正直思います。武漢で流行していた、その背景をきちんと考えた方がいいと思います。なぜ武漢で起こった、ただの風邪がこんなに非常事態のように1月から報道されていたのかという点が一番の判断材料です。そんな怖いのに2月初旬、春節で多くの中国人が居たことが一番疑問でした

交流会も辞めるかどうかすごく悩んだのを覚えています。

5.思考の持ち方

私がいつもしている思考方法はすごくシンプルで、

 

input → □ → output

 

①入るものがあれば、出るものがある

②まずは最初に何が起こるか

③それは本当に正しいのだろうか(否定、工程、別のものの見方を探します)

④最後にどうなるのか

 

こんな感じで考えます。例えばですが(前にも一度書いています)

 

・ハイブリットカーは地球にやさしい。でも、そのエンジンに使われている物質は人にとってとても有害(イメージ、処理がきちんとされなければ水俣病のようなことが起こるかもしれない)。どう処理するのか、公害問題にならないのか。

 

・電気自動車は環境にやさしい、でも電気は石油から作られる、結局一緒じゃないのか?バッテリーは長く持たないから、数年ごとにバッテリーの交換台が高くつく、中古車の相場はとっても安い(バッテリーの交換が高いから)それって、本当に使える車なのだろうか。

 

などなどです。

コロナウィルスに関しては

全世界の人の多くが抗体を持ったら終息する(普通の風邪になる?)→コロナにかかるのが早くて、医療崩壊していたら、助からないかもしれない。病院で医療行為で見てもらえる人は「感染者隔離」か「重症患者」であり、医師からする「重症患者」は意識混濁状態くらい。だとすればほぼ自宅療養で終わる人が増える。PCR検査はほぼしてもらえない。

 

コロナは重症の判断が自分たちでつかない。自宅療養はいいけど、どう判断するのか。それには酸素飽和度を計る機械が必要。どこまで家で見るのか。見る時に苦しくなったら?携帯酸素があったら少し楽かもしれない。

 

重症者以外は病院でも隔離されるだけ、子供が1人隔離されるのと、家で自宅療養するのだと、家で自宅療養の方がいい。本当に重症になったら電話で相談。という感じで考えています。

 

よく、小学校とか、政府とか、いろんな人を批判する方もいるけれど(自分もたまに批判するけど)でも実際自分や家族を守れるのは自分だけになるので、その部分を責任転嫁したとしても何の解決にもならない。

 

自分の家族は自分が守らなくてはいけないと思っています。

それは収入とか、食料とか、他の面でもいえることです。ちなみに、ここで記述している主語は全部「人」を中心に考えています。

 

余談になりますが、この主語を「地球」として考えたら何にも問題はありません。こんな主語を入れかえる思考もたまにします(笑)虫とか、植物とかにしてみると、結構楽しいです。子供ともこんな風に話をします。

6.考えすぎも良くない

私はどちらかと言えば考えすぎるので、2月から買い物や銀行に行くときは手袋をつけていて、周りから痛い目線は感じていましたが、そのくらいしないと嫌な性格です。エレベータのボタンも鍵の先で押したりしてます。複数の人が触ったドアノブはなるべく触らない。自動ドアを選ぶなどですね。子供たちには、とにかく何も触らないように言い聞かせてます。

 

実際こんな風に思考していると、とっても疲れます。こんな時はスマホを見ない日を作るのも大切かと。

 

誰かが言ったことや影響力のある人の発言は10mくらい離れて、本当にそうだろうか?何か偏っていないだろうか?この人はどんな気持ちでこの記事を書いたのだろうか?どんなことが狙いで書いたのか?と考えながら記事を読むと楽しいです。

 

こんな風に思考していると、新しい発想が出てきます。

 

「本当にそうだろうか」

「自分には何ができるのだろうか」

「この経験を生かして自分はどう行動をするのか」

 

できればポジティブに考えて行っていただきたいです。

 

 

 

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