ねぇ、あの子は何で学校に来ないの?と子供に聞かれる

家が近くて、小学校になったら同じ通学班で学校に通う予定の、のび太君のお友達が、小学校が始まって最初から不登校だったので、「なぜあの子は学校に行かないの?」と、いつかのび太君に聞かれる質問だという予測をしていました。さて、いざその日を迎えた私。その話を書きます。

1.なぜ小学校に入学してすぐ不登校になったのか

お友達の子の不登校の理由。実はその子のお母さんがブログを書いていて、それを以前から知っていたので、不登校の理由は知っていました。(4人兄弟の3人目の子がお友達です。)その子のお兄ちゃんが、もともと不登校で、弟も、お兄ちゃんを見て不登校になった。そして、お兄ちゃんたちが不登校だから、息子の友達もまた、保育園の年長さんで“不登校になる”と決めていたそうです。

2.不登校が悪いわけではない

不登校という言葉が今の社会は1人歩きをしているけれども、不登校が悪いわけじゃない。その子の特徴として、集団で勉強をすることになじめない子もいるし、もしかしたらもっとやりたいことが家にあるのかもしれません。

 

少なくともクラスの1/3くらいは、先生の特別な支援が必要な必要な子がいるのも現状。うちののび太君もそう。

クラスになじめない。なんとなくつらい。そんなことあるのはむしろ当たり前で自然なことだと思う。

そして、義務教育と言われる社会の中で「自分で行かない選択肢」をしている時点でもしかしたら強い意志を持っているのかもしれない。

3.誰もが選択をして生きて行ける社会

人生は1つ1つの選択の上で成り立っている。それは、もしかしたらその選択によってお父さんやお母さんが、誰かに知られて嫌な想いをすることもあるのかもしれない。でもただそれだけで、不登校で、引きこもりだって、大勢の人がいる中での1コマにしか過ぎない。結局自分が選択して大人になった結果が自分の1つ1つの選択の結果でしかない。

 

私たちは資本主義の中で限りなく自由に何かを選択して生きていける。だから別に不登校という選択肢があるだけでそれ以上でも以下でもない。ただの選択肢の1つとしてそれを考えています。

4.聞かれる前にしていた、ある話

「なぜあの子は学校に来ないの?」と息子から質問があるだろうと思い、保育園の年長の時から、ある程度そういう選択ができることも話をしてきました。なぜ勉強するのか。誰のために勉強するのか。人生とは?そんなセミナーを一緒に受けたりもしました。

 

小学校に行ってなぜ勉強しなくてはいけないのか。人生において必要なこととは?少しずつ話し合い、のび太君が明確に勉強しなくてはいけない理由(ここでは小学校の勉強ではなく、一生涯にわたって生きて行くために学び続ける必要があること)を自分のこととして話できるようになるところまでずっと話しこんできました。

5.ねぇ、あの子は何で学校に来ないの?

この質問が来たとき、私の答えはとてもシンプルにしました。

 

「学校に行かなくてもいいという選択肢があるからだよ。のび太君が学校に行かなくてもいいと思うのなら行かなくてもいいんだよ。」

 

のび太君はどんなことがあっても、前に進んでいける子だと思っています。自分の意志で決めればいい。そう思っていたので、こんな風に話しました。

「あの子はなんで?」という質問の裏には、“なぜ僕は学校に行っているのだろうか”という意味も入っているのではないかと思っているからです。

 

息子の答えは「僕は学校に行きたい」そう話していました、本音かどうかは分からないけれど、まだ見ぬ未来にいっぱい希望を持っているから、まだまだいろんなことを学びたいということなのだろうと。

そういうことかなと感じました。

 

冒頭で不登校のお母さんが書いていたブログを私は読んだだけで、実際はその友達と話したわけではないので、実際に不登校の理由はわかりません。

6.ぼくは学校に行きたい

それから、何か月か経ち、そのお友達に会った息子、

直接その子に「なんで 学校に来ないの?」と聞いてました。その子は返事を返してくれなったけど、そう、もし気になるのなら聞いていい。

 

それぞれ違っていたっていい。のび太君は学校に行きたいと感じるから学校に行く。もしかしたら

行きたくないと思っているかもしれないけれど、行った方がいいと思っているから、学校に行く。

 

仕事だってそういう時がある。どんなに好きな仕事に就いたってそういう時は必ず来る。辞めていく人もいれば来なくなる人もいる。そんな時に1つ1つ考えを巡らせるのではなく

ただ、自分の未来に耳を傾ける。

 

お友達は学校に行かないことを選んだだけ。大人になって自分があの時選択した結果の大人になればいい。正しいとか、間違っているとか無いから大丈夫。

ただ、それだけの事。あれがどう、これがどうじゃなくて、多様性の中の1コマになり、そして時はずっと止まらずに流れていく。自分が死ぬ時まで。

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