ブログのきっかけ ~その1~ からの続きになります。
家に戻ってから1時間だけ仮眠しました。
次の日、
「昨日から入院しています。」
と電話で義母に伝えた。
24歳の私には重すぎる。でもその時は必死すぎてなんにも考えていなかった。助けを求めれる人はあまりいない。実家の母も空気を読まない人だから相談しづらい。
自分が傷つきたくないからあんまり電話はしないようにしていました。
目の前のことが突然すぎて分からない
朝早く重たい荷物を持って病院へ向かいました。2月の朝、まだ寒かったのを覚えています。
入院の用意なんて初めてで、看護士さんに言われたものを詰め込んで病院へ向かう私。家から本山駅までは約11分、1駅だけ地下鉄に乗って「八事日赤」で降りる。
そこからすぐ病院だった。
病室に着くと、旦那が寝ていた。体調が悪いのかあまり会話ができない。
しばらくして、気持ち悪いと言いだし、吐いた。
見に来る看護師さんの声で頭が痛いらしく、「うるさい」と怒っている。目の前には自分の知っている人?とちょっと違う印象の人が居ると感じました。病気は脳の病気。
髄膜炎とは頭の中の脳の周りの髄液が炎症を起こして脳を圧迫する病気。だから脳がきっとぎゅっとなっていて暴走をしている状態。そして頭が痛いのだろう。
鎮痛剤は何度か投与されていてもあまり効いていない状況だった。
しばらく付き添っていると、目がどんよりしてきた。
“灰色”の目をしているな~と思った、次の瞬間、頭を左右に小刻みに動かし始めた旦那。
これはおかしいと思い、私はすぐナースコール、目の前には体を左右に震わせる旦那が居た。
怖くて見てられない…映画のワンシーンのように、人が人でない瞬間を見た。
先生や看護士さんが来て旦那を押さえつける。点滴のところから注射で3回~5回くらい薬を入れていた。薬を入れる度に旦那が痛いと行っている。もうほとんど意識が無いのに、言葉だけ出ている。
何の薬なのだろうか。現実と夢の往復をしているような感覚だった。もう頭の中が真っ白で、私の眼には涙が勝手に流れている。それは見ている看護士さんも一緒だった。泣いている…
耐えられない看護士さんは病室の外に出ていた。医療の現場はこういう人の生死にかかわる瞬間を何度も見るのだろう。きっと辛いことも多いのだろう。
しばらくすると旦那は昏睡状態に陥った。発作をとめるために、先生はそういう薬を投与したようだった。説明も何もなしに処置が進んでいくのをただじっと見守るしかなかった。
検査に、HCUの24時間監視部屋へ
病状が悪いらしく、HCUの24時間監視部屋に入った。私も付き添いのあと、足りないものを買い出ししたり、洗濯や家のことをするために家に帰った。帰り道、涙がどうしても止まらなくって、ずっと泣きながら帰った。すれ違う人が心配そうに通り過ぎてゆく。こんなに涙が出るなんて思ってもなかった。
家に帰っても1時間しか眠れていないのに、まだ眠る気がしなかった。
仕事先に連絡したり、次の日の用意をしたり。正直どうやって1日を過ごしたのかあまり記憶がないのです。
次の日、昏睡状態はそのままだった。呼びかけてもなにも返事が無い。このまま死んでしまうのだろうか。意識が戻らないのだろうか。ということが頭によぎる。良くなるのだろうか。
検査結果を聞くために「面談部屋に行きましょう」と。担当の先生から言われた。
小さな4人掛けの面談部屋に通された私。後で思えば病状が良くない患者の家族が説明を受ける部屋だったのだろうなと。そう思いました。
先生からは、経過の説明と「明確に検査で出ていないのですが、経過や状態から、ヘルペス脳炎だと思われます」と病名を告げられた。
あの時サインした最悪の事態が今、目の前に提示された瞬間だった。
「医療が進歩したので、今ではこの病気は3人に1人が何もなく退院できます。3人に1人が障害を持ちます、3人に1人が亡くなります」と。
この時点で生きている旦那を目の前にして、自分の頭で理解をすることができなかったし、理解したくない現実でした。
病名を知ると人は不思議なもので、ネットで検索するようになる。私もそうで、家に帰って必死にネットで調べたのを覚えています。
ヘルペス脳炎と引くと、どうも予後が悪い病気らしく、発見が遅くなり寝たきりになっている人も多いと書いてあった。頭の中が病気のことでいっぱいになり、食べることさえ忘れていました。
もしかしたらこのまま…ということもあり得るから実母にも連絡をしました。
2日後くらいに、実母が見に来てやっと、食べたくなくてもご飯くらい食べなよ。
と言われやっと、まともにご飯を食べていないことに気付いた私。
食欲なんてないけれど、おにぎり1個を無理やり口に押し込んだ。ご飯がまったくおいしくなかった。
でも、あの時のおにぎりの味はいまでもよく覚えています。
私は数日間で3キロくらい体重が落ちたのだろうか、、、自分でも細くなったのが分かったくらい
やつれていました。ほとんど飲まず、食わずで睡眠も取れていなくって、結局そのこと自体をまったく忘れていたのです。