ブログのきっかけ ~その3~

ブログのきっかけ ~その2~の続きになります。

付き添いをしながら

聞いた“1/3の死の宣告”。

 

数日間、涙が止まらなくて、ずっとタオルを握りしめていた。

 

悲しすぎて 一生分泣いた。

旦那が助かるのなら、自分の命なんていらないと、この時思った。

自分が病気になっていたらどんなに楽な気持だっただろうとも。

昏睡状態で、いろいろなことが発覚する

義母がお見舞いにやってきた。
「医療保険に入っているから、保険会社に電話してね、家族でないと請求できないから」
と言われ、書類を手渡すのと、お見舞いをと、お金を渡してくれた。

 

当時24歳の私には何のことなのかさっぱり分からない。けれど保険会社に電話した。

電話先の人は「保険金請求書を送付しますので、記入後送り返してください」というだけだった。
安心とは程遠かった。良く分からないから余計不安に。

 

それから、旦那の会社の社長が私に電話してくる。
「なんの病気になったんだろうね?会社での過労が原因ではないよ。」
いや、そんなことが聞きたかったわけではない。そんな話をしたかったわけではない。

確かにその前にはずっと休みもなく2週間の勤務をしていた。

そして一層不安になる。旦那は当時会社の役員だった。だからこういう時は給料が出ないよと言いたかっただけなのだろう。この時旦那の会社の経営状態があまり良くないのだろうなというイメージを受けました。

 

もう一人の役員の男性は、「たいしたことないと思うから、大丈夫だよ。」と電話してくる。

 

大丈夫な状態でないから付き添っているのに。病院の看護師さんにもそう言われている。

 

結局、後日会社の役員の男性からは、旦那が会社の借金の保証人になっていることも告げられる。こんな時に必要のない話題だけれど、あの人たちにとって旦那はそういう存在だったのだろう。

同じくらいの年齢になった今、そういうことが自分の周りで起きたら?と想像すると、旦那の周りにはそういう常識のない人しかいなかったのだと改めて感じることができました。

たった1人、相談する人もいなくてどうしたらいいか分からなかった

人はこういうとき、卑怯だ。お金を持たない人だと分かった時点であまり関わらなくなる。

 

自分が悪くないと主張する。それに嫌な情報ばっかり提供してくれる。
自分の実母も借金の話を聞いた途端「この病気は医療費がすごく高くなるからね、大変だよ」というアドバイス。

 

ご飯が喉を通らないのに、精神的にもっと追いつめられる。

 

実母からは「借金は怖いよ。すぐ離婚しなさい」「借金の人質にとられてあんたは殺されるんだよ」と(私には保険も何もないのに、変なドラマを見て信じているのだろうか)。

こんな時に知識もなく1人どうしていいのか分からなかった。仕事も休んでばかりいられないので、朝一病院に行って、仕事終わってまた病院の日々だった。

そしてすぐに離婚しなさいと母に迫られた。もう、私はボロボロだった。離婚届を勝手に用意して「あんたのせいで家族が危険に晒されている」と脅してくる母。非協力的で、よく分からない栄養剤を飲ませなさいと言ってくる義母。

 

それでも唯一まともだったのは仕事先の同僚だった。

仕事先の先輩は協力的だった。本当に頭が下がる。今振り返ってみれば、どれも病気が良くなればそこまで問題のないこと。でもその時は疲れと劇的に変化した回りの状況に自分のリテラシーのなさが原因で本当に辛かった。

 

無知とは本当にみじめなことなのだと。そして若いというのは知らないことだらけで対処方法をしらない。育った家の環境は将来に影響するから、だからお金のことをしっかりしなければという衝動に駆られていました。